森寛斎 もり かんさい

Name森寛斎
Name Readもり かんさい
Year of birth and death1814-1894
Birth Place山口県
Birth Place in EnglishYmaguchi Prefecture
Commentary長州藩士石田道政の第三子として萩の雁島に生まれた。名は公粛、字は子容、別号に晩山などがある。大阪に出て森徹山に師事し、のちにその養子となって寛斎と号した。幕末には尊王派として国事に奔走。維新後は京都で如雲社に参加し、塩川文麟没後、その中心的存在となった。また京都府画学校の教授を務め、京都画壇の重鎮として、野村文挙・山元春挙らの門人を育成した。