淵野真斎 ふちの しんさい

作家名淵野真斎
作家名(よみ)ふちの しんさい
生没年1760-1823
出身地竹田市
出身地(英語表記)Taketa
略歴・解説豊後国岡の人。幼名三郎兵衛、名は蘭渓、のち世龍。文化4年には真斎と更名。字は玉鱗。?園、裳園、焦叟、雲山叟などと号した。安永7年淵上旭江が岡を訪れた際画技を得、やがて藩の画員に任じられた。さらに、藩命により江戸に出て渡辺玄対の門にも学ぶが、のち狩野派に転じた。南蘋派風の人物、花鳥をよくし、また南画風の作品も遺している。正統的な南宗画を描いた画人ではないが、竹田が画を学んだ郷里における師のひとりとして竹田の初期の作画に与えた影響は大きかったと思われる。